葬儀はなぜするのか
人の死は、病気や交通事故、老衰または自死することもあります。死は多様であり、同じ生がないのと同様に全く同じ死は存在しません。では、人が死ぬとどういうことが起こるのでしょうか。葬儀の役割は次のようになります。
○社会的処理
人は社会に生きている存在なので、社会がその死を処理する必要があります。その人の死を通知したり、集まって死を確認したり、現代では戸籍の抹消や相続などの手続きです。
○遺体の処理
遺体は生命を失うことにより腐敗を開始します。そのため、遺体を土に埋めたり、火で燃やすなどして処理を行う必要が出てきます。遺体を処理することは人との訣別に関わることなので、単なる物理的な処理ではありません。
○霊の処理
人が死ぬことにより、亡くなった人の霊を「この世」から「あの世」へ送り出す必要が出てきます。死者と遺された者との間に新たな関係を作り上げることを迫られます。しばしば宗教的な儀礼を必要とします。これが、葬儀の中心をなすものです。
○悲嘆の処理
人の死は、衝撃や悲しみ、心の痛みをもたらします。死を受け入れるには、しばしば長い時間を要し、葛藤を伴います。また死別の悲嘆は制御したり、逃げ去ることではなく、表出することによって癒されていきます。悲嘆の表出を避けたり、妨げたりすると、体調を崩したり、精神的な疾患を引き起こすこともあります。
○さまざまな感情の処理
人が死ぬとさまざまな感情にとらわれます。歴史的には新たな死を招く祟りのようなものを恐れられたりもしました。こうした恐怖感を和らげるために死者の霊を愛惜する儀礼が要請されました。
葬送儀礼は時代や地域の文化によってさまざまです。しかし、共通しているのは、手厚い儀礼が必要であると人々に理解され、これを制度化、習慣化したのが葬送儀礼即ち葬儀です。葬儀には「教育的役割」もあります。人々が集まり営まれる葬儀は、集まる人々に命の大切さ、生ある人は必ず死ぬべき存在であることを知らしめます。また私たちも死すべきものであり、先に行く者と後に行く者の違いです。遺された者は葬儀という辛い儀礼を営むことを通じて<いのちの歴史>を受け継いでいると言ってもいいでしょう。